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誰だって それぞれのイメージを隠し持っている
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CATEGORY : 日常
2009-10-30-Fri
『ほんとう』について、私は本当は知っている。
Trackback 0  Comment 2
このごろ、本心とかいうのってなんぞやって思うんです。
いろいろ考えたんだけど、やっぱり同道巡りな感じになってきたから、ちょっとここで文章にまとめてみようかなーて。

多分長くなるから追記にするんですが、もうちょっと答えに近づく足場が欲しいので、もし出来れば読んで、そんでコメントいただけたらうれしいなーとか思っちゃう強欲な私です。笑

でもさ、こういうこと言うとコメントつかないものなんですよね、ブログってwwwwww



多分不快なことを言ったり愚痴ったりはしないと思う(日本語がはちゃめちゃで不愉快にさせてしまうかもしれないけど)んですが、まあ、いちよう、自己責任で。

では(´∀`)




今日友達の結構深刻な相談を受けたんですが、私は(まあ内情がわかるっていうのもあり)真剣に、親身に聞いて、自分の知識やら考えをフル動員して、言葉もなるたけ選んで、なにより相手を思って回答したと思うんです。
でもですよ、そうやって答えてる私の中に、絶対、絶っっ対に、「この意見を期に相手に自分をより良く思われたい」とか、その相談をしているときに周りにいた人へのアピールみたいなことを、勿論あからさまにじゃないし、第一に思ってたわけでは無いけど、1%だけでも、思った。

でもさ、いままで私はそういう私の気持ちをあんまり見てこなかったんじゃないかなって思うんです。それはきっと、そういう私の中にある「ほんとう」がすっごい汚くてぐちゃぐちゃしててっていう、そういうことに感づいてしまったから、だと思う。
もちろんその「ほんとう」の要素には、相手を親身に思いやったりとかそういうのもあるんだと思うけど、でもやっぱり、そんなのよりぐちゃぐちゃしてるほうがあまりに醜くて。
そんな私の「ほんとう」をしっかり捕らえるのが怖くて、きっと私は、それは無意識に「ほんとう」を避けてきた、って思う。

そういう「ほんとう」を、私は理性やら世間体やらを考えて、言葉や態度っていうオブラートで包んで伝えてきた。
「ほんとう」を理解してないのにね、笑っちゃうよ。



そのオブラートはさ、ラッピングみたいなものだと思う。
私の「ほんとう」のラッピング。
誰かに渡すときには、欠かせないラッピング。

私は自分の「ほんとう」のえげつなさを漠然と知ってしまっているから、それをどうにか隠したくて、がんばって練習してきた。人の目を気にして、他の人のそれをみてみよう見真似で頑張って、結構いいものができて来たとおもうんです。

それはそこで完成されてて、綺麗で、そのままにしておきたいもの。
中身はどうでもいいからさ、外側、もっと見てていいかな?そういうラッピング。


そういう「本当」を包み隠す行為も、その人の意志でやるものだからある意味その人の「ほんとう」には係わっているのかもしれない。
でも、私は中身も知らずに包んでしまった。しかも、その行為に慣れてしまった。


きっといまの私は、もう無意識にそれを行っていると思う。そして自分の「ほんとう」を完全に見失う。それを繰り返して、自分の言葉に酔いしれる。

相談に乗ったとき、正直、そういう部分あったよ。
それが、もう本当に情けなくてさ。それに泣いたよ。馬鹿か私は。

親身になれる自分が、本当かが分からない。



でもそれ以上に怖いのはさ、そんな私の包んだ意見に誰かがアクションをしてくれたとき(例えば「そうだよね」とか「それは違うよ」とか)、それに私が喜んだり怒ったりすることなんですよ、ね。
それってすごく不自然なことで。

包んだものが「ほんとう」にすり替わる、というか、私が作為的にすり替えようとムキになってる。
私はもう、それが大分やばいところまで来ていると思うんだよ。





何故かは知らないけど、前友人に「ヒビキって人間できてるよね」とか、「いい人だよね」とか、「常識人だよね」とか、なんかそういうことを言われた。
嬉しかったよ、それは本当。
でもさ、なんか、素直に受け入れらんなかった。本当はそんな人間じゃないのにな~って、思った。
でも、その「本当はそんな人間」を、私すら捉え切れてない。わかってないんだよ、自分の醜さを。



だから、とりあえずこの頃は自分の「ほんとう」を知ろうと試行錯誤してます。
「ほんとう」をもっとちゃんとした形で捕らえられたら、そのオブラートももっと「ほんとう」を反映したものに出来るって信じてる。
包み方が私の「ほんとう」を支えるプラスのものにするには、「ほんとう」を捕らえることはきっと避けては通れない道なんだよね。


ある人はブログに書いてたんだよ。『「ほんとう」が醜いからといって、その人間がまるごと醜いわけではない』って。
この言葉に感銘受けたくせに、まだまだ全然この言葉を咀嚼できてないんだけど。笑
いつか分かればいいな。って思う。






とか難しいことをつらつら書いた割りに伝わりそうな雰囲気はゼロなんですが。笑
なんかさー、やっぱり本気で言ってるつもりのことが本心じゃないんじゃないか?って疑うのって結構辛いですよね。
でも、本心捉えるのって絶対難しいし。しかも上に書いたのが全部正しいわけが無いし。

「ほんとう」について、なにか考えるきっかけになれば幸いです。


そして、こんな途方もないことを考えるきっかけを下さったのは、某SNSの方の日記とそれへのコメント、コメレス。
色々考えさせられて、咀嚼して、大分自分の中にそういう考え方が入ってきました。
新しい視点とすごい難題と(笑)、あと、考えるきっかけをありがとうございます。

こんなところだけど、心からの感謝を。






ちなみに、今日某先生の授業受けてて、やっぱ指導されてるときは全然ナチュラルに先生として接してるし、特に何も思わなかったんだけど、
先生が他の人と話してるときにぼーっと顔みてたらさ、なんか「あー好きだわ」って思った。笑
やっぱ、好きです。

これは私の「ほんとう」。

「ほんとう」って、結構シンプルなのかも。





『探してたものは こんなSimpleなものだったんだ~♪』
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Comments
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No title
ネオ | URL | 2009-10-31-Sat 19:51 [EDIT]
ネオなんかが、コメントしていいのかわからないけど、もしネオの話でちょっとでも考えの手助けができればと思いまして(^_^;)
ネオも「ほんとうはこんなこと思ってるんだ!」ってことに気がつきつつ、口ではきれいな言葉を言ったすることもあるよ。ほんとうをラッピングしたものが「ほんとう」なのか、その中に入っているものが「ほんとう」かはわからない。
でもね、ネオはそういうことを悩んで考えて、たとえ計算したあげくに出た発言でも、今の自分が発している言葉や思い、態度そのものが「ほんとう」なのではないかな~と思うのね。
どっちが「ほんとう」の自分なのかわからない、というよりわかりたくないからなのかもしれないけど、今自分がしていることが「ほんとう」だと思いたいっていうのかな。
本心では汚いことを考えている、でも口では真逆のことを言っている、それが「今のほんとうの自分」。
人間は生き物の中で唯一嘘をつく生き物なんだけど、じゃあその嘘の積み重ね(本心の隠し合い)で会話ができてるのかっていうとそうじゃない。
心からお礼が言いたくなることや、素直に笑顔がこぼれるとき、それはオブラートに包めるものじゃない。これもまた「ほんとう」。
やってることと思っていることが矛盾していて「ほんとう」ってどっちだ!?ってなるけど、ネオはそういうとき偽物を探すんじゃなくてどちらもとりあえず「ほんもの」でもいいんじゃないかな?って思うようにしてるよ。
自分自身誰かに影響受けたり、社交辞令な言葉を覚えて「こういうときはこういえ」っていう暗黙のルールを知っちゃったけど、それを悲観することなく「それでもいいんだよ、人間らしいんだよ」って言い聞かせてるかな。


なんか答えになってなくてごめんね。
長々と失礼しました(^_^;)

コメ返
ヒビキ | URL | 2009-11-01-Sun 18:34 [EDIT]
>>ネオさん

コメントありがとうございます!
こうやってコメントいただけるのは、本当鼻血でるぐらい嬉しいんですよー。ぶしゅー。

そして、遅くなってしまってごめんなさい。
遅くなった分しっかり返させていただきます!



うん、やっぱりそういうことって誰にだってあるんですよね。
確かに、そういう行為は自分の行ったことだからこそ、その包んだ状態も自分のものであるというのもすごくわかります。

でも、普通に信頼している友人に対してそういう包んだ言葉や態度を示したとき、それがすごく不誠実な行為だなあと思うんです。
それはいわゆる「空気を読む」とかそういうことじゃなくて、例えば味方得たいとか、なるたけ誰も(自分も含めて)傷つけないとか、そういう当たり障りないことなんですよね。それって、凄く卑怯じゃないですか?

それを分かっているんです、だけど、その行為はどうしてもやってしまうんです。
それをとめられるほど私は「信頼」を信頼できてないし、強くもない。本当に弱い人間です。


だから、それならせめて、自分の「ほんとう」をなるたけ明確に捕らえることが大切なんじゃないかって思うんです。
私の「ほんとう」を捕らえて包むからこそ、それは私であって、ネオさんが言うような「人間らしさ」、「私らしさ」なんだと思います。

一番あってはいけないのは、「ほんとう」をしらないで、包んだそれに陶酔してしまうことだと思います。
誰かの相談に乗ったときに「この人だけの幸せを考えて私は相談に乗っている。」だなんて思い違いなんかしちゃった日には、汚い私の「ほんとう」を考えればあほみたいな事で。
そんでですよ、そうやって自分の「ほんとう」を捕らえられれば、本当の意味で相手と対峙できると思うんです。相手の醜さにまで、弱さにまで、想像力が及ぶようになる。自分と公平なものさしで比較ができる。
それは上辺で包んだものとはきっと違うと思います。



とか信じてるんですがねー。
でも確かに、どこまでを本当の自分とするかって言うのは本当に難しいですよね。

ネオさんは、もう自分の「ほんとう」をかなり捕らえているのかもしれないなーとも思ったりします。
私は本当にがちがちに包んで来たんで、なかなか解くのが大変なんですよね。笑

あと、確かに悲観的すぎるっていうのはあるかも知れません。
もっとシンプルに、もっと客観的に、もっと前に進めるように、考えていきたいと思います。


最後に、本当になんどでも、コメントありがとうございました!

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Thanks a lot!
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